Brett Anderson自伝Afternoon With the Blinds Drawn翻訳ブログ

ブレットアンダーソンの自伝二巻目翻訳ブログ

AWTBD パート1 その2

ブレ様自伝翻訳いきます! 素人がなんとなくでフワッと訳していることをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所がありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

そうしてここに座って僕は僕が書かないと言った本を書き、僕が語りたくなかったことについて語っている。きっとそれは不可避なのだろう。いくぶん生々しい世界に僕の物語を物語り、聞いてもらいたいという子供っぽい要求を超えて、何が僕をここまで牽引したのだろうか。数え切れない早朝に、横たわって天井を凝視しながら、僕が思案し自分自身に約束したのは、僕らがすでに幾度も読んだのと同じ本は書くまいということだった。ほとんどのロックバンドが同じ帰結のチェックポイントを通り同じ帰結の道を沿って同じ帰結のノロノロ歩きをしがちで、蛙か何かのように不快なライフサイクルが定められ、だから物語は、特に誰もが最終章の出来事を知っている時は、やむを得ない同じ空気に突入するのだ。だから代わりに僕がこれらのページでやろうとしていることは、僕自身の物語の要素を使って、腕を伸ばしてより広い視野を展開するための術とし、成功と自己破壊と再回復のもがきの道程を見つめ、僕に働きかける何らかの力について語るためにその物語を利用し、おそらくぶんぶんと呻る機械装置のなんらかの真実を発掘し、しばしば気づかれない、特にそれが作用するものによって、人々がラジオで耳にするバンドを想像することだ。これはきっと野心的に見えるだろうが、それは僕の物語の第二部分のなんらかの所有権を主張しようとする僕のやり方で、その物語はメディアによる真面目な記録で、確かに型にハマって再度語る必要はない。特筆すべきは暫くして考えれば、その当時自分に投げかけられていたことが明確になるということだ。今僕はあの最盛期の狂ったローラーコースターの日々の間に僕に起こったことを見ることができ、他の誰かに起こっていることもほぼ分かり、だが一方でその時に戻ると素晴らしく個人的で、まさしく事態に没入する感覚があり、僕はあるがままの事態に、ガラスに顔を押しつけ、真実を見るには余りにも近づき過ぎていた。これは、だから、僕の物語の第一部分の、ページの角を折られた教養小説のみっともない延長ではないけれど、代わりに、種類の違う物語で、何年にもわたって僕の周りに固定されたギヤと歯車を突っつき回す何かで、上手くいけば二、三の、自分自身に投げかける疑問と、正確に起こったこととその理由について答えるだろう。