Brett Anderson自伝Afternoon With the Blinds Drawn翻訳ブログ

ブレットアンダーソンの自伝二巻目翻訳ブログ

AWTBD パート1 その14

ブレ様自伝翻訳行きます! 脳みそがゼリーの人間が訳したうんこ翻訳であることをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 それでもこれら全てに関わらず、覚えている以上に何回も苦境に絞られ、その経験による、おそらくは深く個人的なダメージを受けていたにも関わらず、僕がまだ信じているのは僕らが今文化的価値のある物を失い、もう「パンチ・アンド・ジュディー」的な週刊音楽雑誌を読めないことだ。僕がその強烈な特定の批判の受け手にならなかったから、僕がそう言うのはきっと簡単に見えるだろうー僕の論点は議論の的になっているバンドに関連する長所となんら関係はないーけれど、二十五年を越える後知恵の利点から、その作品は最終的に創造的な活動だっと思う。サザーランドが知っていたのは、彼が記事を書いて少数の人間を怒らせるより重要なことを彼がしているということだった。彼は自分が過激で不人気で不愉快で不必要に辛辣でいることを自覚していたが、同様に彼の挑発がバンドがより良くなろうと奮闘するように刺激することも知っていた。彼は自分の役割を理解していて、「集中攻撃」の広い価値も知っていたし、公共空間で評価を受けることになったらどんなバンドでも自分の作品が気に入られなくて怒る権利を放棄し、激しい批判は、ある種の適者生存的あり方で、いくつかのバンドを潰し、他には素晴らしい仕事を達成させる、複雑な抑制と均衡のシステムの一部だということを知っていた。彼らは不愉快だが、生態系に必要な要素だった。七十年代、八十年代、九十年代の音楽のプレスは、シーンを生み出すオピニオンと二極化の緊張感で満ちた戦場だった。そのうちのいくらかは滑稽で短命な局地的なジョークだったが、いくらかは、パンクのように、世界を変え、公共の音楽の見方と芸術への見方の広いセンスも再定義した。僕たちがようやく海外に行き初めて目にしたのは、僕らをイギリスの音楽プレスの製造物と見なしている、多くの海外メディアの疑惑に満ちた眼差しだった。僕らが得たのは「ハイプ」への荒々しい批判の連続と、僕らが創り上げとても誇りに思っていた音楽から不公平にも焦点を外されたことだった。僕はずっと彼らは本質を見逃していると思った。初めは、派手な宣伝はとても遠くに運んでくれるだろう。重要な人々がいなくては、脆弱な誤魔化しはすぐに見抜かれ、次なる輝きに向かっていく。さらに皮肉なことなのだけれど、彼らがそうも疑っていた仕組みは、きっと少し、彼らが愛した多くの音楽のせいなのだろう。現代では、少数の顕著な例外にも関わらず、多くの出版物が、十分な価値のある意見を持つことで特定の人を不快にすることを過度に恐れ、その芸術的価値に関係なく彼らに最善の利益をもたらすものは明らかになんでも支援し、マーケティングのキャンペーンを鈍く賞賛し、株主を恐れている。