Brett Anderson自伝Afternoon With the Blinds Drawn翻訳ブログ

ブレットアンダーソンの自伝二巻目翻訳ブログ

AWTBD パート1 その15

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 これは僕を揉め事に巻き込むかもしれないし、是非とも間違っていると証明されたいし、きっとはっきりとそれを認識するには情報はあまりにも足りていないだろうけれど、残念ながら、デジタル世代の革新的なシーンとムーブメントがどこから来そうなのか、僕には認識ができない。僕が感じるのは、僕らの時代の決定的な文化的事件ーソーシャルメディアーがそんなにも巨大な影を落とし、その衝撃と世代の共鳴が衰えたことによって、自分の芯を貫く決定的な核であるよりも日々を飾る装飾品となっている音楽を人々は情熱的に愛してさえいることだ。そして僕が声高に主張している一方で、同時に僕はもっと広いちょっとした他のことに無駄話をする機会を得てもいるのだろう。最初のインターネットの不正ダウンロードによる音楽業界の大殺戮は色んな人を深刻に心配させただろうと思うし、そうしてストリーミングサービスの急速な拡大によって、一般に予想できないシーンの周辺の音楽を作って生計をたてるアーティストにとって、ますます厳しい状況になっていると思う。勿論、常に例外はあるけれど、僕が気づいたのは、七十年代・八十年代・九十年代であれば健全で富裕なキャリアを築けたであろう、興味深く非商業的な音楽を作っているある種の新人バンドが、生き残るためにもがいていることだ。明確にこれは階級問題として持ち上がった。もうそれ以上実現可能なキャリアではないから、労働者階級の声は、数年でオルタナティブ・ミュージックにおいて実質的に聞こえなくなり、シーンを外れたバンドの唯一生き残る方法は、富裕な両親からの資金援助だと僕らは予測するだろうか? しかしながら、これ以上のより広くもっと困った予測もある。ちょうど、いまだに巨額の富を築きメインストリームのポップミュージックを制作している、音楽業界の上流階級の住人には深刻な懸念ではない現象だが、本当にそうだろう。クリエイティブ業界の地層は全て繋がっていて、色んな意味で生態系にも似た相互関係なのだ。極端に単純化しようと望むのではなく、クリエイティブな主流外のミュージシャンは、商業ミュージシャンが彼らのアイディアを薄めて消毒して一般受けさせ、餌を与える生き物のように僕には見える。同じ意味で、植物が死に絶えたら、肉食動物の絶滅に繋がる一連の出来事を生み出すように、音楽業界で配られるマージンは、音楽業界全体の健康にとって文字通り必要不可欠だと思う。アイディアを加速させるモーターなしでは、僕らが予測するのは、商業ミュージシャンは益々過去の成功の遺産の模倣に基づき、無意味で成長と価値と生命力に欠けた、ひどく郷愁的な音楽的風景の模造品を生み出すというのは出発点に過ぎないということによる、一種の薄暗い文化的真空地帯だ。何年も前にその地点に到達していたと主張する者もいるだろう。すなわち、ザ・エックス・ファクター(リアリティー番組)とフォー・タウン(映画やドラマのセットのために作られた街のことだが、Banana gun というミュージシャンの曲でもある)の成功はポップ・ムーブメントにおいて、彼らの立場を強化したように見え、メインストリームの音楽は常にセンチメンタリズムへの嗜好を有しているが、少なくともいまだ見える興味深い作品の一筋の光はあるのだ。それでも僕に気がかりなのは、その論理的観点に持っていくのは、アイディアの枯渇に面するだけでなく、もしかしたらそれは最終段階の始まりかもしれないことだ。