Brett Anderson自伝Afternoon With the Blinds Drawn翻訳ブログ

ブレットアンダーソンの自伝二巻目翻訳ブログ

AWTBD パート1 その15

ブレ様自伝翻訳行きます! 善処はしているけれど結果の出ていないうんこ翻訳だということを御了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 これは僕を揉め事に巻き込むかもしれないし、是非とも間違っていると証明されたいし、きっとはっきりとそれを認識するには情報はあまりにも足りていないだろうけれど、残念ながら、デジタル世代の革新的なシーンとムーブメントがどこから来そうなのか、僕には認識ができない。僕が感じるのは、僕らの時代の決定的な文化的事件ーソーシャルメディアーがそんなにも巨大な影を落とし、その衝撃と世代の共鳴が衰えたことによって、自分の芯を貫く決定的な核であるよりも日々を飾る装飾品となっている音楽を人々は情熱的に愛してさえいることだ。そして僕が声高に主張している一方で、同時に僕はもっと広いちょっとした他のことに無駄話をする機会を得てもいるのだろう。最初のインターネットの不正ダウンロードによる音楽業界の大殺戮は色んな人を深刻に心配させただろうと思うし、そうしてストリーミングサービスの急速な拡大によって、一般に予想できないシーンの周辺の音楽を作って生計をたてるアーティストにとって、ますます厳しい状況になっていると思う。勿論、常に例外はあるけれど、僕が気づいたのは、七十年代・八十年代・九十年代であれば健全で富裕なキャリアを築けたであろう、興味深く非商業的な音楽を作っているある種の新人バンドが、生き残るためにもがいていることだ。明確にこれは階級問題として持ち上がった。もうそれ以上実現可能なキャリアではないから、労働者階級の声は、数年でオルタナティブ・ミュージックにおいて実質的に聞こえなくなり、シーンを外れたバンドの唯一生き残る方法は、富裕な両親からの資金援助だと僕らは予測するだろうか? しかしながら、これ以上のより広くもっと困った予測もある。ちょうど、いまだに巨額の富を築きメインストリームのポップミュージックを制作している、音楽業界の上流階級の住人には深刻な懸念ではない現象だが、本当にそうだろう。クリエイティブ業界の地層は全て繋がっていて、色んな意味で生態系にも似た相互関係なのだ。極端に単純化しようと望むのではなく、クリエイティブな主流外のミュージシャンは、商業ミュージシャンが彼らのアイディアを薄めて消毒して一般受けさせ、餌を与える生き物のように僕には見える。同じ意味で、植物が死に絶えたら、肉食動物の絶滅に繋がる一連の出来事を生み出すように、音楽業界で配られるマージンは、音楽業界全体の健康にとって文字通り必要不可欠だと思う。アイディアを加速させるモーターなしでは、僕らが予測するのは、商業ミュージシャンは益々過去の成功の遺産の模倣に基づき、無意味で成長と価値と生命力に欠けた、ひどく郷愁的な音楽的風景の模造品を生み出すというのは出発点に過ぎないということによる、一種の薄暗い文化的真空地帯だ。何年も前にその地点に到達していたと主張する者もいるだろう。すなわち、ザ・エックス・ファクター(リアリティー番組)とフォー・タウン(映画やドラマのセットのために作られた街のことだが、Banana gun というミュージシャンの曲でもある)の成功はポップ・ムーブメントにおいて、彼らの立場を強化したように見え、メインストリームの音楽は常にセンチメンタリズムへの嗜好を有しているが、少なくともいまだ見える興味深い作品の一筋の光はあるのだ。それでも僕に気がかりなのは、その論理的観点に持っていくのは、アイディアの枯渇に面するだけでなく、もしかしたらそれは最終段階の始まりかもしれないことだ。

AWTBD パート1 その14

ブレ様自伝翻訳行きます! 脳みそがゼリーの人間が訳したうんこ翻訳であることをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 それでもこれら全てに関わらず、覚えている以上に何回も苦境に絞られ、その経験による、おそらくは深く個人的なダメージを受けていたにも関わらず、僕がまだ信じているのは僕らが今文化的価値のある物を失い、もう「パンチ・アンド・ジュディー」的な週刊音楽雑誌を読めないことだ。僕がその強烈な特定の批判の受け手にならなかったから、僕がそう言うのはきっと簡単に見えるだろうー僕の論点は議論の的になっているバンドに関連する長所となんら関係はないーけれど、二十五年を越える後知恵の利点から、その作品は最終的に創造的な活動だっと思う。サザーランドが知っていたのは、彼が記事を書いて少数の人間を怒らせるより重要なことを彼がしているということだった。彼は自分が過激で不人気で不愉快で不必要に辛辣でいることを自覚していたが、同様に彼の挑発がバンドがより良くなろうと奮闘するように刺激することも知っていた。彼は自分の役割を理解していて、「集中攻撃」の広い価値も知っていたし、公共空間で評価を受けることになったらどんなバンドでも自分の作品が気に入られなくて怒る権利を放棄し、激しい批判は、ある種の適者生存的あり方で、いくつかのバンドを潰し、他には素晴らしい仕事を達成させる、複雑な抑制と均衡のシステムの一部だということを知っていた。彼らは不愉快だが、生態系に必要な要素だった。七十年代、八十年代、九十年代の音楽のプレスは、シーンを生み出すオピニオンと二極化の緊張感で満ちた戦場だった。そのうちのいくらかは滑稽で短命な局地的なジョークだったが、いくらかは、パンクのように、世界を変え、公共の音楽の見方と芸術への見方の広いセンスも再定義した。僕たちがようやく海外に行き初めて目にしたのは、僕らをイギリスの音楽プレスの製造物と見なしている、多くの海外メディアの疑惑に満ちた眼差しだった。僕らが得たのは「ハイプ」への荒々しい批判の連続と、僕らが創り上げとても誇りに思っていた音楽から不公平にも焦点を外されたことだった。僕はずっと彼らは本質を見逃していると思った。初めは、派手な宣伝はとても遠くに運んでくれるだろう。重要な人々がいなくては、脆弱な誤魔化しはすぐに見抜かれ、次なる輝きに向かっていく。さらに皮肉なことなのだけれど、彼らがそうも疑っていた仕組みは、きっと少し、彼らが愛した多くの音楽のせいなのだろう。現代では、少数の顕著な例外にも関わらず、多くの出版物が、十分な価値のある意見を持つことで特定の人を不快にすることを過度に恐れ、その芸術的価値に関係なく彼らに最善の利益をもたらすものは明らかになんでも支援し、マーケティングのキャンペーンを鈍く賞賛し、株主を恐れている。

AWTBD パート1 その13

 ブレ様翻訳行きます! 一応文法とか勉強したけど全く頭に入ってこないボケんだらが訳しているうんこ翻訳だということを御了承いただける方のみご覧ください。原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

犬の糞とダイアモンド

 

 サイモンはガチャガチャと音を立てるトライバルタトゥー(ここでは波型のタトゥーのようなリズムのことと思われる)は洞窟のような空間にカタカタと鳴り、バーナードの叫ぶギターは「ムーヴィング」が熱狂の終焉へと突き進んでいく際に、最後の狂ったコードを弾き出した。僕は規則的になったり不規則になったりするリズムの中でマイクのコードをしならせ、モニターの上にふらふらと立ち(文字通りはこの意味だが、ステージ上で危機的な状況にある場合でもある)、曲がその暴力的な最後にグシャリとなる、勝利と汗まみれの、観客の一人一人が分からない様子を荒々しく見つめていた。そして突然訪れた静寂の中、退屈しきった一群、グラム風のネッズ・アトミック・ダストビン(1987年にイギリスで結成されたオルタナティブ・ロックバンド。1980年代後半から1990年代初頭にかけて活動し、特にイギリスのインディーシーンで人気を博した)のTシャツを着た生徒が不愉快そうに移動し、靴を見つめていた。一・二のなおざりな拍手はあったが、沈黙したベニュー全体を覆う煙たい喧騒の上に、同じ質問が投げかけられていた。「キングメーカー(1990年代初頭にイギリスで活動したオルタナティブロックバンド。1991年に結成され、1995年まで活動した)はいつ出るんだ?」と。

 

 僕らの上昇に続いた興奮が高まる頃、僕らはキングメーカーと呼ばれる、九十年代初期にかなりの人気を博し、ミディアムサイズの大学のベニューのサーキットに忠実なファンを得たバンドのサポートをオファーされた。他のファンに向けてライブをするのはあまり楽しくない。彼らの冷淡な好奇心とぼんやりした疑いを本当に貫き、実際のエネルギーを生み出すのは(文字通りはこの訳だが、実際はエネルギーや効果が生じていない状況)難しいが、歯を食いしばり、無言の反応に対して自分を強くもつのは、急成長するバンドとして踏まなければいけない必要なステップだ。このため、僕は僕らの特筆すべきパフォーマンスを少しも覚えていないが、ツアーは活気に満ち楽しく、僕らはキングメーカーと上手くやり、僕は深夜に何回かビールを飲んで話し、サウンドチェックの合間にシンガーのロズ、シャイだが聡明で繊細な僕が好ましく思った男とお喋りをした。ツアーの最高潮はケンティッシュ・タウンのザ・タウン・アンド・カントリー・クラブのショウで、僕らが一九九〇年に期待外れのつまらない夜を過ごして経験を積んだ、ザ・ブル・アンド・ゲートのすぐ近くだった。その時にザ・タウン・アンド・カントリーは確実に僕らがプレイしてきた中で一番大きな会場で、その理由だけで僕らにとってはチャンスだった。またしても僕は僕らの素晴らしいショウを覚えていないが、その夜がメロディー・メーカーのスティーヴ・サザーランドを挑発して、有名な挑発的な記事を書かせたのだった。次の週の火曜日に雑誌を取ると、「豚に真珠」という見出しと「犬の糞とダイアモンド」という辛辣な言葉に直面し、それは僕らとトリの間の不均衡さを知覚して表現されたのだった。さらに狡猾なのはスティーヴのその状況の政治的操作で、「犬の糞」のバンド(キングメーカーとその他)の集団をライバル雑誌のNMEと同等化することに利用し、彼が「ダイアモンド」と見做したバンド(スエードとその他)をメロディー・メーカーに結び付けたのだった。争いの火蓋は切って落とされ、宣戦布告された。それは扇動的で、僅かながら、彼が一年かそこらの後にNMEの編集となった時に、多くの辞職者が続出したらしいことに、まさしく影響力がある文章だった。
 その特定の記事のメリットと意見への見解がなんであろうと、それがチューツパー(他人や社会の期待に反して行動したり、困難な状況で挑戦的な態度を示したりする人の行動様式を表現するスラング)だと否定できないと思う。僕にとって、それは扇動的な週刊音楽雑誌のジャーナリズムの頂点を示していた。この時から、火曜日の朝に雑誌を手に取ることは自分の命を自分の手に取ることを意味するようになった。記事とコメントは残忍で激しく残酷で個人的で胸が潰れるようで、嵐の中心にいる重要人物として、僕はその両面を味わった。同じ発行物の中に、僕は泥の中を残酷に野蛮に引きずられたり、神の血を引く何かとして同様に馬鹿らしく投げ出されたりした。若い男として、病的な自己反省と誇大妄想的なナルシシズムとの間で揺れ動き、その過酷な状況の中に自分を位置付けて見るのは時としてほぼ不可能だった。個人的な話、自分と自分の作品について書かれていることをどうやって無視すればいいのだろう。もちろん、「自分の記事なんて絶対に読まない」と主張するミュージシャンもいるが、それはきっと少数で想像するより少ない。それは、「自分たちのために音楽を作っていて、誰か気に入ってくれる人がいれば、それは予想外のボーナスだ」というその種のミュージシャンの使い古された決まり文句(cliché)で、悩み事がなく軽薄であると仄めかし、そのアーティストが他人が自分をどう思っているか拘泥する些事など通り越している人たちで、しばしばそれが全くの作り話ではないというロマンティックな提示だ。真実は、自分の作品を論争の場に持っていく行動は、メディアからのある種の承認と反応への嘆願だということだ。ある種の多くのバンドは軽視しているけれども密かに探し求め、それが肯定的であれば貪り食い、そうでなければその不快さの中で身を捩る。プレスが悪いのなら単に無視すればいいと思うだろうが、苦痛をいくらか平行して消化することを、「乗り越える」必要が僕はあったと思う。僕への心理的効果ー特徴は誇張されて抑圧されたー、とその経験なしに僕がいまどんな人間になっているか知るのは難しい。心に傷を負わずに歪められた真実から逃げられる人間はいないと思うが、それもまたこの楽しい小旅行を始める時に交わした契約の一部なのだ。与えられたご褒美はとても素晴らしく、思うに、結果として虐待の形態となることは受容可能だと見做されたーそれは現代の剣闘士闘争のようで、その勝利の価値は血みどろの追跡を正当化した。周りの人間に「深刻に取るな」と言われても、自分のペルソナから切り離し、全てのことは他人に起こっていることだと見ることができる瞬間は決してなく、月日が流れるうち、まるでデートかなにかのように、自体は想像していたように決して容易くはならない。

AWTBD パート1 その12

また前回から日が空いてすいません! 全く進歩など見られず、それから遠ざかっていくばかりのゴミ翻訳であることをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

ドラウナーズのリリースへの反応は、その二重性の観点から興味深いものだった。世の中の大多数は、わずかな理解の囁きもなしに通り過ぎ、メディアのメインストリームに衝撃ゼロを与え、どうにかチャート49位になった。しかしながら小さなサブカルチャー界隈には、僕はそう言うのが不格好になるだろうとは思わないが、激震として歓迎された。それはおそらくひどく自意識過剰に聞こえるだろうし、僕はその出来事の後の僕らが作り上げたものたちと本当の記憶との区別をつけることと、それが僕自身の他を抑圧するソリプシズムをすっかり超越していると判断することをしようとしているが、僕が本当に思い出すのは、週刊音楽雑誌の世界とロンドンのインディー界隈の中では、レコードは大喝采と不名誉な一節も勝ち取ったことだ。僕らは知らず知らずの内に変化の震源地になっていたと思う。いくらか騒々しく、現在の停滞したシーンの代わりとして発生し、いくらか僕らが自分自身の洗練されて自信に溢れた魅力を開発したからで、ー驚くべき新しいものの表現ーけれど主に、僕は自分を持て囃したいのは、なぜなら曲は素晴らしいからだ。僕はずっと歌の持つ力の熱心な信者であってきた。愛しているのは最も簡単な設備で実現可能なことと、その限界と可能性の複合と共に、ピアノの鍵盤かタイプライターで同時に奨励し嘲笑し、その秘密は自分の指先でひどく魅惑的に留まるがいまだ届かず、安いギターとボーカルと、ささやかなインスピレーション、自分自身の想像力によってのみ区切られた何か素晴らしい錬金術に向かって手を伸ばし、何か素晴らしいことを開放する限界にあるかもしれないという感覚にワクワクしているということと共に座っている時だ。言葉と旋律の強く説得力のある相互作用は僕の幼少期から影響を与えて、バーナードと共にソングライターとして本当に話し始めた気がしたことで、それは何年にも渡って失われた技術となってしまったものだった。
 曲の暗いセクシュアリティーの存在についてこの本の中で言及しないのは不誠実になるだろう。「ザ・ドラウナーズ」の曖昧ではっきりしない言葉と、「マイ・インセイシャブル・ワン」の観点の移動はEPに熱い肉欲のエッジを与え、それは僕がきっとバンドについて色々な所でされている会話を付け加えたものだ。僕は作曲のこの要素についてはとても自覚的で、僕を夢中にさせた他者の作品から注意深く引き出すことに積極的だった。それを考慮するとほとんどのポップミュージックは過度に潔癖で退屈で、でなければセックスが主題になったら漫画のように空虚に表現され、ありきたりな表現(cliché)を超えて深く考察されたようには思えなかった。初期のインタビューで僕がかつて言ったのは、僕が語りたいのは「美しいベッドより使用済みのコンドーム」で、えへん、初期の曲の鋭い一撃を見るのにいまだ正確な方法だと思う。命のことについて作曲するのと、セックスについて作曲するのを同じことだと僕は見做していた。細部への探究、失敗と恐れを横目でちらりと見るためのレイヤーの探究、躊躇いと混乱の瞬間、同様に単純な二項対立は通常は制限されている主題へとカテゴライズされる。もちろん、わざと挑発的で議論を呼ぶようにしていると見る者もいるだろうが、その中心は、僕の周りに見える世界を記録しようという単純な試みだった。メディアのレンズは僕が自分自身にやり直していたことを屈折させ反射して、僕はそれに答え、続く作曲に影響を与え、それは無意識に段階的に僕の育ちゆくペルソナの玉ねぎに薄い皮を付け加えたが、自分の作品を議論の場に導く者は誰もおらず、悪循環からは抜け出せそうにない。同時に、ある段階において僕が自分が何をやっているか気づいていたことを認識しないのは不誠実だろう。曲の中にセックスを詳述することを奨励したのは、いくらか挑発したいという欲求があったことに違いない。僕は常にそれはポップミュージックの芯となる目的だと見做してきたーうん、どうにしろ素晴らしいポップミュージックだー激しい感情を引き起こし、感情を掻き立て、盲目的に従わせ、その極端な反応の結果は、嫌悪と憎悪でさえあった。とても早い時期からそれは僕には明らかであって、スエードは熱狂と冷笑を同程度に引き越こすグループで、ほんのわずかな感情がそのスペクトラムの真っ只中に向かっていく。それがよかろうが悪かろうが僕らが一緒に生きていかなければいけない特性で、自分の足のサイズについてどうにかしようとしている誰かさんのようで、似たような方法でバンドは自分たちがどんなバンドであるのか、その限界と共に励み、利口であればそれを自分たちの利益のために使うことを受け入れざるを得なかった。

AWTBD パート1 その11

お久しぶりです! 体調やらなんやらでサボってました、すみません。その間にも全くの進化が見られないうんこ翻訳であることをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で、明らかに違う箇所がありましたらお願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 冷静な導きがないことは、僕らに備わっている特性と周りにいる人たちの本性を全く露わにしてしまうことだった。サウルは間違いなくその時の僕らのメントルの中でもっとも経験値が高いが、それと同時に、彼は、それ以上でなくても、僕らの周りに渦巻き始めた騒動にぞくぞくしている節があり、事件が詳らかになると熱狂と狂熱に支配され、まるでそれが彼の物であるように僕らの成功を熱心に励まし、気がつけば僕らは荒々しい旅を始めて、それに捕らわれていた。それは目にしたことがない、苦難を切り抜ける時が来たときに助言を求めるべきルールブックのない状況で、アーティストとプレス、次の10年のメディア展望を決めるプレスとの間の変わりつつある関係の只中に、モルモットよろしく、何も考えずに自分たちを投げ出していたのだ。スエードへの反応は、他ににた存在が極めて少ないために不釣り合いで、それは僕が語る必要があると特に誇るものではないが、それが僕らの物語に必要不可欠な要素になった。そこにいなかったり、忘れてしまっている人にとって、僕らがデビューアルバムをリリースする前でさえ、最終的に19の雑誌を麗しく飾ることに言及するのは、メディアの反応の規模を察することができるかもしれない。そしてそれは、少なくとも後々のバーナードのバンドからの拒否と放逐に繋がる、有害な結果を生み出すことに無論繋がっている現象だったが、一方で充満するせん妄はまだ楽しく思われ僕らの前のシートに座って、ドライブを楽しんだ。
 そのEPは一九九二年の五月11日のリリースのために書かれ、一旦録音とミックスされたら、僕に残されていたことはアートワークの決定だった。アルバムジャケットがどうしてか音楽を定義づけて屈折させ、正しいイメージが完璧に歌と同調するほどに協力になることを僕は愛してきて、ヒプノシス(1970年代を中心に「ピンク・フロイド」「ジェネシス」「レッド・ツェッペリン」ら数々のアーティストのカバーアートを創作したアート集団)、ジェイミー・リード(セックス・ピストルズなどのビジュアルデザインを手掛けたグラフィックデザイナー)、ピーター・サヴィエル(ジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダー、ハッピーマンデーズなどのジャケットのデザインを手がけたグラフィック・デザイナー)の作品を眺めながら、一〇代の時間を終わりなくダラダラと過ごした。多くの侘しい週の中頃を中古ショップと蚤の市をとぼとぼ歩くことに費やし、僕は白黴の生えた本の図書館を建て、その中の一つがホルガー・ トリュルシュとモデルのベルーシュカの作品だった。超現実的で熱の籠ったイメージは何年も僕を魅了し、男性もののスーツでボディ・ペインティングされ銃を持った裸の少女の絵には特にだった。それは曲の不道徳なテーマのいくつかに沿った完璧な表現に思えたー恐れとセクシュアリティーの混合、喜ばしい両性具有の混沌ー、そしてこれが僕らのEPのアートワークになった。安っぽく酷い出来の、ほぼ状況主義者のカバーの質がとうとう出されたのは、実は低予算による幸運な事故で、レコード会社が2色しか使う予算がないと僕らに告げ、素晴らしく幼稚なコピペの俗っぽさを与えることになったーほぼ自家製の質が初期のレコードジャケットの全シリーズのヴィジュアル・テーマになった。

AWTBD パート1 その10

ブレ様自伝翻訳行きます! 原典が難し過ぎて何言ってるか分からなくてそのまま訳しているゴミ翻訳だということをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 4月の後半のある火曜日にマットと僕はグレート・マールバラ・ストリートを歩いていて、新聞雑誌売り場に近づいていくと、僕はメロディー・メーカーの表紙にちょっと僕の顔のように見える何かが見えたと思った。もっと近づくと姿はよりはっきりとして、そこには心理的切断の奇妙な瞬間があり、僕が衝撃と共にはっきり理解したのは僕の顔のように見えたそれは正しくそうで僕たちはカバーに載ったことだった。僕ら四人の頭の下に大胆な大文字で印刷されていたのは、伝説の「ザ・ベスト・ニュー・バンド・イン・ブリテン」で、そのフレーズはそれからの二、三年以上僕らが逃れがたくなった言葉で、その時は僕らがもう目にしたくないと願ったものだった。雑誌業界の権力の前に当時を生きていた人たちにこのことの重要性がちゃんと解釈されたのか知るのは僕には難しい。週刊の音楽雑誌にはかつて重要な価値と影響力があり、権力を持ち、その影響と流通の数はキャリアの道筋を作り形となり影響を与えた。しかしながらそこには厳格な階級があり、序列は監視されるべきであり、それが意味するのはデビューシングルの発表前夜のバンドは単純にスターとしてカバーを飾ったのではない、ということだ。十代の時間を無駄に費やし、それらのページの詳細を凝視し、僕らの立ち位置の純然たる唯一無二さに直面した驚きから立ち直った。僕が悲しく思うのはその時代を憶えている多くの人々がいまだにバンドがプレスが作ったもので、ひねくれた、邪悪なメディアの実験が実態なく、シェリー的な国際特許分類の工場で製造されたとみなしていることで、盛大な火事に油を注ぐ重大な瞬間だった。どういうわけか僕らが共謀してインディー界の最も重い罪を犯しているという疑惑だー偽物という。もちろんその時の僕らはその影響の結果を心配することに悩まされるには、自分たちのライブになにか実際に起ころうとしているウキウキするような勢いにあまりにも誘惑されていたのだが、振り返れば、僕らをその状況に置くことを許したあいつらは信じられないほど無責任で短慮だと感じざるを得ない。単純に思うのは僕らはちゃんとした助言も与えられず、あいつらのその仕事は状況を分析し解剖することで、僕らが追い求めていたご褒美は最終的に有害であると説明することに煩わされることは決してないのだ。その時の僕らは一瞬たりとも止まることができなかったが、それが性急で本能的で荒々しく空想的であるべきというバンドの役割と、素面で思慮深く指導的役割を果たすべきであるという彼らの周囲の役割だった。僕らは失点し嵐の中に真っ逆様に落ちていくにまかせ、プレスの不安定な女主人との約束したことは不適切な思いつきだったと考えざるを得ない。それでも後から考えれば素晴らしいことなのだろうし、旋回する瞬間を取り上げ批判するのはたやすいことだ。僕らが全然成功したくなかったというふりはできないし、一つ残らずがむしゃらに掴んだ続いて起こる喰い争いは必要なものだった。それは最終的に長きにわたる僕らのキャリアの結果、多くの人間にとっては、僕らは単純に「過大評価」され、「過剰宣伝」されたと永遠に位置付けられ、今日のそのことへの反対意見に、いまだしばしばそれに、若き日の誇張された側面の遺産に悩まされていると色んな意味で僕は感じるのだった。

AWTBD パート1 その9

ブレ様自伝翻訳行きます! あいも変わらぬど素人のうんこ翻訳であることをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 

 インタビューの後、僕らが転がって行ったのは、肌寒く陰鬱なイースト・ロンドンのフォトグラファーのスタジオの迷宮で、それはヒップスターたちが越してくる前に町のその部分に散らばっていた。そのセッションはトム・シーハーン、チーフ“素人写真家”のメロディー・メーカーの居住者で、人好きのする陽気なロンドン子で、フェイクファーとオクスファムジャケットに身を包んだ誰かのコスプレ箱を見つけた悪ガキのような僕らをレンズの前で跳ね回らせようとし、甘言を弄して僕らのためにゆっくり書かれている役割を演じさせた。その時の僕は、今は分かっている、フォトグラファーの技術は主題の対話の中に多大に潜み、彼らの能力は表情と態度からわずかな差異を捻り出すことであることを理解してさえおらず、したがってブロウ・アップ(「爆発」という意味だが、後にカメラマンの名前が来るので雑誌や写真集の名前の可能性有り)デヴィッド・ベイリー(スウィンキング・ロンドンの中心的人物のカメラマン)様式のステレオタイプの決まり文句は、欲望のパントマイムのパロディーに失われ、子猫の目をした痩せた浮浪児に「カメラを愛して」とせがむのだった。僕は合図に合わせて笑顔を作れるタイプの人間ではなく、僕が進んで命令した返答としての笑顔よりむしろ、リアクションとしての見せかけの笑顔を見た時にどうすればいいのか迷っていたが、しかし、トムは狡猾な手練れの指示者で、僕らが時代のひな型として受け入れられた自分の靴を見つめているグラム風の見た目の模範的な群れ以上の存在として自分たちを表現したがっていたことを彼は知っていたと思う。スタジオでおべっかを言われながらその時に考えていたことは、それは僕らが置いてきた失業手当の受給の合列やどん詰まりの仕事よりも遥かに好ましいということだったが、カメラの前に晒された僕らの初心さは僕が思うに愚かで、僕らの無邪気な欲望は、僕らが何年ももがき続けてきた、初期の名声に飢えた空虚なベニヤ板を寄せ集めることに迎合したのだった。あれらの最初のメディアとの戦闘は影響力があると知覚されたのは興味深く、それは自分を定義し続け、破ることのできない強固な殻となる。有名人の精神的な成長は、彼らが名声を得た途端に現実世界と隔絶することから固まるという受けのいいセオリーがあるが、同時に彼らに対して受けのいい態度もあり、そしてそれらは初心な入り口を越えては決して考慮に入れられない。