Brett Anderson自伝Afternoon With the Blinds Drawn翻訳ブログ

ブレットアンダーソンの自伝二巻目翻訳ブログ

AWTBD パート1 その6

ブレ様翻訳いきます! 全く翻訳の基礎ができていない人間が訳したウンコ翻訳であることをご了承いただける方のみご覧ください! 原典読まれた方で明らかに違う箇所ありましたらご指摘お願いします。誤字脱字のご指摘もお願いします。

 これはバーナードと僕の友人関係において素晴らしい時だったー僕らはきつく結びつけられ、急速にお互いの存在に、ようやく共に生み出したものに経緯を表するようになった。じめじめした苦い失敗の年月は固められた絆としてセメントされ、ようやく世界の耳目が僕らのやっていることに開かれ始めているようだった。僕らのもがいているバンドとしての最初の少しの冬は、殆どの音楽的ワナビーが直面するありふれた月並みな無関心に出会わされたが、僕らが無関心に対抗した戦いを押し進めたことは、どちらかと言えばより激しくなったようで、僕らは、不可欠な初期設定(原文required default.おそらくはパソコンのプログラムの用語だと思われる)の、九〇年代初めの、インディーバンドの空っぽの舞台の、クスリで朦朧とした冷淡さと共に落ち着かずに座っている上の空の観客に向けてエッジの効いたショーをやり続けた。しばしばステージには聴衆より多い人間がいたし、ある時に僕らは非常に屈辱的で文字通り無意味なギグを一人の前でやった。けれども最終的に暴力性とアクシデントと進化のコンビネーションを通じて、自身の声を見出し、ようやく人々は耳を傾け始めた。バーナードと僕はクローヴのタバコをシェアし、ガタガタという地下鉄に乗り、興奮して喋り、陰謀を企て将来を設計し、お互いの言葉を引用し、そして、若者が死とは不可避だと知りながら、それは僕らの予測可能な直接取引からは隔たっているのと同じで、ロックの伝説の年代記に書かれているように、僕らの間の不和の奇妙な奔流だけではありえないほどに不適切で、時としてメメント・モリ、死の警告を思いこさせるのだった。キャンバスの隅に描かれた頭蓋骨。全般的にバンドに潜む活発な自尊心と友愛もまた強烈に膨らみ、ジャスティーンの別離に続く能動的な変化はサイモンに、特に周辺から現れることを許し、より完全に優しく忠実で愉快な友人である、今の彼と同じ、ことを明らかにし、僕らが初めて出会った時の礼儀正しいつまらないパンク野郎以上の存在になった。
 僕らはロンドンの象徴的な小さなライブハウスでライブをやり始め、危険なまでに空売りされていることを常に確約され、その中は湯気の出るような汗まみれの体でうねり、ほぼ中に入ることは不可能だった。この造られた過剰な興奮は、バンドの芯の特性と共に維持され、ありふれた日々を超越しよう、より高い位置へと手を伸ばそうと欲していた。僕がずっと愛好してきたのは手の届かない非現実的なアーティストだった。ピストルズのようなバンドでさえ、大騒ぎとハイベリーの旋律にも関わらず、僕らの残りの別な背景から切り離されたようだった。戯画化されデイグローのけばけばしい蛍光色の、どいうわけか異邦人のような。尊大だと思われることを願うことなしに、全ての「僕らはただ単にファンと同じ存在なんです」という態度は僕に、自分自身を子供の「親友」だと思い込んでいた父を思い起こさせる。誤った、恩着せがましい、結局空っぽな。その見解がどれほどダサいということにも関わらず、どんなパフォーマンスもつまるところエリート主義であることとそのステージには明確な目的があることー観客から引き離して上昇するーその中にある差別的な力はドラマの重要な要素であるということは僕を打ちのめしてきた。コベントガーデンのアフリカセンターでのギグはシングルのリリースに先立って行われ、僕らが人びとが本当に僕らの持っている力に何か期待しているのかもしれないと気付き始めた最初の時だったと思う。僕が覚えているのは、400人の観客が実際に苦労して得た金を僕らを見るために実際に支払った事実に衝撃を受けたことだった。僕がそのギグで思い起こすのはぼんやりとつまらなく、僕らは未だ自分たちの気持ちを集中させることと、それらをパフォーマンスに反映させることを学んでいる途中で、結果として指揮と権限の欠落した微かなはにかみのショーとなった。しかしながらその時点で、奇妙なしくじりはたいした問題ではなく、好意の大きなうねりを僕らは得ようとしていると感じ、それは優しい波のように僕らを運び始めたのだった。